
なぜケアラの記事で戦争の話題を…
健康の秘訣といえば、良質な食事、適度な運動、そして十分な睡眠。この3つはすでにご存じの方も多いでしょう。
しかし、そこにもう一つ大切な要素を加えるとしたら――それは「平和」ではないでしょうか。
戦争のない平和な社会があってこそ、私たちは安心して健康づくりに取り組むことができます。
そして今年の8月、私たちは戦後80年という大きな節目を迎えます。今回は、あらためて「戦争」について考えてみたいと思います。
なぜ広島に?
先日、戦後80年を迎えるにあたり、改めて戦争の歴史に触れたいと思い、原爆ドームと平和記念公園を訪れました。
原爆ドームでは、奇跡的に一部が倒壊を免れたとはいえ、周囲には当時のがれきがそのまま残されているのが印象的でした。
平和記念公園では、多くのボランティアガイドの方がいらっしゃり、そのうちの一人とお話しする機会がありました。
その方によると、核爆弾が日本に投下されたのは、その威力を測るための実験であったということでした。「戦争終結を早めるため」というのは、実は口実に過ぎないという話も聞き、とても考えさせられました。
そして、原爆の酷さを十分に理解しました。そして、なぜこのようなことが起こったのか、その歴史的背景を知るべきだと強く感じました。
「侵略者である日本を、(ヒーローである)アメリカが核爆弾で成敗した」という見方は、本当に正しいのでしょうか。
「日本だけが悪い」では片づけられない太平洋戦争の歴史
私が子供の頃「太平洋戦争は日本が悪かった」というようなニュアンスで教わった記憶があります。確かに日本の侵略行為は否定できません。でも、大人になって学び直す中で、もっと複雑な背景があることを知りました。
当時、欧米諸国はアジアやアフリカを植民地として支配し、現地の人々を搾取していました。奴隷制度が完全に廃止されたのも、意外に最近のことです。そんな中で、日本は欧米の勢力拡大に対抗する形で満州や東南アジアに進出し、資源確保に動きました。
また、アメリカなどからは経済制裁や石油の禁輸などの圧力が加えられ、日本は追い詰められていきました。それが開戦の一因でもあります。
そのような時代背景とはいえ、日本が大陸に進出したことも事実であり、それを行動を正当化するわけではありません。
でも、当時の世界全体の構造を知ることで、単純な「悪対善」という図式では語れない現実が見えてきます。

「大東亜戦争」とは?
太平洋戦争は、当時の日本では「大東亜戦争」と呼ばれていました。
その背景には、「大東亜共栄圏」という理念があり、欧米列強の植民地支配からアジア諸国を解放し、共に繁栄しようという理想が掲げられていました。当時、アジアの多くの国々は欧米の植民地でした。
そんな中で日本が欧米に対抗する姿に希望を感じ、独立の機運が高まった国もありますし、インドネシアでは日本の進出がオランダからの独立運動を後押しした面があります。
もちろん、日本の統治が現地の人々にとって厳しかったのも事実です。理想と現実には大きな乖離がありました。しかし、大東亜共栄圏という思想が、アジアの独立に少なからず影響を与えたことも否定できません。
戦争の評価は一面的では語れません。今こそ冷静に、複眼的に歴史を見つめ直す必要があると感じます。

最後に
太平洋戦争は外交努力次第で防げなかったのか?そう思う時があります。その場合、日本が大きな譲歩を受け入れることであり、例えば当時日本が重視していた満州の権益を手放す必要もありました。
結果的には戦争は避けられず、広島・長崎には原爆が投下され悲しい歴史となりました。今回広島に行ってきて、その歴史があるからこそ今があると改めて痛感させられました。
それぞれの国、それぞれの立場で戦争による被害に対して怒りや反感の気持ちがあると思います。
私自身も原爆について「なぜこんなにも酷いことが起こったのか」と強い怒りを感じました。
けれど、その怒りのエネルギーを、ただ憎しみに向けるのではなく、日本をより良くするための力に変えたいと思います。そして「どうすれば日本を自ら守れるのか」という未来への問いに、そのエネルギーを使うべきだと強く感じました。
