
靴で歩く足音?のようなワードが出てきたが、「コツ」と「コツコツ」では意味合いが全く変わってしまう。「コツ」の意味は、体を支える「骨」(こつ)からきていて、物事の要点を身につけることとある。よくある使い方は「うまくやるコツは何ですか?」という感じであろうか?現代だと、要点を探ることよりも、いかに労せずに大事な部分を見つけ出して進めていくか、ということの意味合いが強い。巷に溢れる自己啓発本をはじめとする書籍も、この「コツ」を売りにしてい、できるだけ簡単に行えるようにというのを全面に推し進めている。
対して、「コツコツ」のほうの意味は、地道に長いスパンをかけて努力することを表している。ひたすら耐えて続けていった先にようやく光が見えてくる、花が開くいうイメージが強い。このように同じ読みなのに、「コツ」が2倍になって「コツコツ」となるだけで全く違う意味になるのも日本語の不思議であり、面白さでもある。

私がいつか相撲事業で成功を収め、周りの方に「事業を展開していくコツは何ですか?」と聞かれる日がやってきたら、その時は迷わず「コツはコツコツやることです」と答える。ダジャレに取られるか、はたまた煙に巻いた嫌がらせのように思われてしまうのか?・・・。もとい、これは何の冗談でもなければ、打算的なものはない、他ならぬ真実なのである。冷たいと思われるかもしれないが、コツコツやること以外に成功への近道はないと断言できる。きれいごとを言って一時的に良い人と思われたところで、人間というのは後になってから話しが違うではないかと、覚えのない恨みを買ってしまうもの。であるならば、印象悪くとも始めから真実を申し上げるべきである。
少し話は脱線するが、インターネットやSNSで、短期間で爆発的に拡散することを「バズる」という。内容が大ヒットし、一攫千金を勝ち取る現象。簡単に事を成し得たようなイメージを感じさせる。若干、「コツ」とも意味が似てるような気がしないでもないが、この「バズる」ことなどは、とても大変な作業でまさに「コツコツ」の象徴と私は捉えている。爆発的に拡散させるまでのプロセスなどは、考えただけでも気が遠くなる。内容を考え、撮影し、編集する。そして短いスパンで、絶えず情報を更新し、発信し続ける。過去に例のある内容などは真似をしているとみなされ、流行ること不可能。誰も踏み入れていない奇抜な新しい内容を狙う。これがまた大変な作業であり、前例もなく、成功の保証もない、答えがないことをやるのだから、その精神は気の遠くなるようなくらいの感覚だろう。0から1を作り出す、理屈ではわかっていてもなかなか大変なのである。だから「バズる」なんていうことは突発的なことではなく、「コツコツ」を実践し続けてきた人間の成るべくしてなった結果なのだ。
私の個人的な得意分野を例に出してコツについて説明したいと思う。一つは相撲であるが、強くなるコツを教えてほしいと聞かれたらどうするか?大抵の経験者なら、基本動作のやり方、技のかけるタイミングや姿勢など話すであろう。私もよくそういうアドバイスを受け実践してきた。こういった助言は、非常に聞きやすく心地よい。素直に聞き入り、水を得た魚の如くの気持ちになる。また本格的にその方に師事したいという願望も湧いてくる。しかしこれは大きな落とし穴で、広義的に捉えれば、非常に危ないアドバイスであると言っていい。教える側からして、尋ねてきた相手を陥れるつもりはさらさらない。その人に強くなってほしい、自分のアドバイスが役に立てばいいと思っているだろう。がしかし、一つの道を歩んでいく上で、絶え間なく忍耐を重ねていくことが大切なのに、そこに触れないのは知らず知らずのうちにキレイごとで済ませようとしてしまっている。

相撲に限らず、どのスポーツでも言えることだが、個人の体の構造など、誰一人として同じ人間はいない。自分の歩んできた道が必ずしも正しいなんて考えてはいけない、これはたとえ横綱であってもだ。もっと掘り下げて言えば、生まれてきた年、場所、育てられてきた環境も大分に違う。教える方も、教えられる方も、まずは全く自分とは異質の人間と対峙しているのだとしかとを認識して臨まなければならない。気休めチックなことを言う人間ほどあとあと痛い目に合わせられるので気をつけなければならない。教える方も、教えられる側も始めのうちは新鮮味があり、将来への希望が湧いているので、とても充実していてよい関係性も構築できている。しかし、人間は脆いもの。やがて双方の思い通りにならなくなってきた時の反動ほど怖いものはない。自分の意に沿わない人間を否定し始めるのだ。結局は、ただひたすら稽古に励むのみである。地道に取り組むことで自分だけの技が生まれてくるのだ。
もう一つの例を挙げる、それは「畑」である。小さいながらもそのフィールドは生命を宿している場所である。そこに命がある限り、一心不乱に取り組まないとこちらが参ってしまう。よく巷では、農業を始めて、充実ライフをなんて謳っているがそんな簡単ではない。通常の仕事に加え、休日は畑なんて言っていたらその人は一体いつ休むことができるのだろうかと不思議で仕方ない。自分もそうであったが、畑の先人達に野菜を上手に育てる「コツ」を尋ねていた。皆それぞれ、親身になってアドバイスを授けてくれたが、正直申し上げれば私の畑にはどの話しも直接的には役立つことではなかった。同時に、やはり「コツはコツコツ」なのだと気付かせていただいた。畑の場所、大きさ、手入れの頻度、植える野菜の種類、天候など何一つ同じものがない。天候などは、特に人間の力ではどうすることも出来ず、毎年試行錯誤という有様である。人間性も大きく影響され、いかに丁寧に愚直に取り組むかによって、収穫の日を無事迎えられるか決まる。
畑に休日はない、生きるとはそういうことなのだと気付かされる。タネを植え、水をやる、虫除けのネットを張る、雑草を抜く。夏場などは一日行かないだけで畑の様相が大分変わってしまう。相撲も畑も、地道にやる以外方法はないのだ。そうすることで、少しずつ「見えてくる」のである。できる人とできない人の差は本当に紙一重であり、肉眼では見えないくらいである。ただできる人というのは、その道のうっすらと「見えてるもの」が他の人よりも多いのである。おそらく、本人は口で説明できるものではないだろう。自分で試し、失敗して、挫折してその繰り返しを経て、ようやく収穫というゴールに辿り着くのだ。苦労して育てたからこそ、愛着が湧き、おいしく食べようと調理に工夫を重ね、感謝していただく。
スーパーマーケットに並んでいる野菜であるが、大半は栄養もなく「死んでいる」状態である。そして一年中陳列させれているが、野菜の世界にも季節が存在し、旬のもの以外を食べるというのは自然の摂理から逸脱していて健康に害を及ぼす。
結論を申し上げれば、「コツ」などという言葉はもはや死語にしてしまうべきであり、「コツコツ」という言葉一本に絞った方がよい。この世の中に簡単なことなどない。どの道でも長い時間をかけて体得していく、これ以外ないのである。先述のスーパーマーケットをはじめとして、便利なものが溢れてしまった。そうなることで、自然の摂理からますます乖離され、やがては心身に影響を及ぼす。今こそ知りたがるのではなく、コツコツを奨励すべきでは?と私は思う。
※イラスト=大岩戸関による直筆
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【大岩戸 義之】
元力士大岩戸。OfficeOōiwato(オフィスオオイワト)代表。現AbemaTV相撲解説者。相撲の運動を活かして介護施設や保育園・幼稚園で相撲レクリエーションを行っています。その他、講演活動やヘルスケアイベントでの講師なども。お問い合わせは当ホームページよりご連絡ください。








