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「元関取が語る!土俵で学んだ歩き方Vol.13」お幸持ち

 世の中には様々な言葉が満ち溢れているが、それはどれも初めから存在していたわけではない。言語が生まれ、やがて文字が発達し、長い時を経て時の権力者なり学者などによって作り出されてきた。巷で最近よく耳にするのはダントツで「やばい」という言葉だ。口を開けば必ずと言っていいほど出てくるが、この言葉についてネットで語源を調べると、江戸時代にはすでに「やばい」は存在してい、「い」は抜けて「やば」であったらしい。意味は「危ないこと、都合が悪いこと」。そしてこれが形容詞化して「やばい」が現れたのは明治時代、悪人が警察関係を「やば」と呼び、捕まって取り調べられた際に危なくて都合が悪いことを「やばい」と言うようになった説や、矢場(やば)という射的場が悪事を行う場所だったからだという風になったとか・・・。

 このように良くないことを示し、汚い言葉だったのだが、現代では肯定的な場面にまでも使われるようになってしまった。日常的に汚い言葉が頻繁に使われているが、近年の「言霊(ことだま)」という概念に沿って考えるならば、「やばい」はマイナスな言葉なのだから、ここ数年の日本の酷さは我々国民一人一人が作り上げてしまったのではないだろうかと罪の意識が芽生えてしまう。ちなみに私は「やばい」なんて言葉はまず使わない、自分で自分の首を締め付けるなんてありえないのだから。

 対して、日本語にはこんな素敵なエピソードがある。今から数十年前のこと、ある南極観測隊員の話である。南極という厳しい環境下においての隊員達の楽しみは、数ヶ月に一度日本から届く手紙や電報、差し入れであった。その中である隊員に届いた奥様からの電報が、「あなた」だったそうな。色々と書き連ねたいこともあったのだろうが、電報も文字を打つのにそれなりのお金がかかる、なので短い言葉の中にありったけの想いを込めた。その「あなた」を読んだ隊員は号泣し、心配でかけよった周りの隊員達もまた、その電報を見て涙を流したそうな。たった三文字の短い言葉であるのに、とても奥深く感じられる。「あなた、お元気ですか?私達は元気ですよ、体に気をつけてお仕事頑張ってくださいね、帰ってくる日を楽しみにお待ちしております」という風にも解釈できてしまう、これが日本語の力なのだ。ただしこの話しにはオチがあり、大酒飲みである夫に対しての「あなたお酒の飲み過ぎには気をつけて下さいね」という意味だったらしい。実際後日に酒で失態を犯してしまった時には、「プンプン」という電報が届いたそうな。

 どちらにせよ心温まる楽しいエピソードであり、そこにはネガティブな感情は存在しない。これが英語ならただの「You」となり、なんの想いも伝わってこない。送られてきたほうはなんのことやらわからず仕舞いだろう。こんな言語が世界共通語であるのが情けない。私も一時憧れを抱き英語を覚えようともしたが、今は全く思わない。日本語が一番、これだけでよい。日本人の中で、英語をマスターしてる人間がさも得意げに会話しているのを見ていると気分が悪い、欧米人になりきったとでも思っているのだろうか?我々がどんなに背伸びしたところで本物にはなれない。日本で英語をすらすら話せれば多少は羨望の眼差しで見られるのだろうが、本場では全く歯が立たない。

 もういちど「言霊」という言葉に触れたいが、かつて私はお金持ちになりたいと思っていて、それを人前で話したことがある。そしたらそれを聞いていたお金持ちの家の出の人間に、不愉快だと言われた。お金持ちの世界にも、我々庶民には計り知れない深い悩みがあるそうだ。某有名人のご母堂は「お金は汚いものだ」と言っていたそうな。となると、やはりマイナスな言霊になってしまうのだろうか・・・。そこで、ある日ふと頭の中にある言葉が浮かんできた、それが「お幸持ち」(おさちもち)である。これなら、誰に対しても不快な気持ちにはさせない,、なぜならこのような言葉は今まで存在していない、私が作った言葉だからだ。知らない言葉だから怒りようもない。0から1を作り出すのは、とても骨が折れるし大変である。しかし、その分充実感もたっぷりと味わえる。

 これで私は三つの新しい言葉を作ったことになる、一つ目は「相撲レクリエーション」。老人介護施設での相撲イベントの総称である、力士が訪問すれば慰問になるが、引退した私が同じ言葉を使うわけにはいかない。二つ目は「相撲術」である。「相撲道」という言葉が存在するが、これは相撲を極める、強くなるための道で、もう私には叶わぬことである。私の夢は相撲の動きと精神を、たくさんの方に広めるということ。不安定な世の中であるが故の不安定な精神を相撲によって解消する術(すべ)を紹介するということで、この名前にした。双方とも最初は受け入れてもらいようもなくだったが、今はネットで検索すれば私に関連した記事が出てくる。こういうプロセスを一度経験すると、気長に待つことも苦ではなくなる。

 さて「お幸持ち」という言葉であるが、シロクロはっきりさせたい現代の世相からは到底受け入れられないだろう。古き良き日本の思想である曖昧さは失われてしまった。そんな時代だからこそこの言葉は、もう一度日本を取り戻す強力なワードになる。幸せなんて人それぞれ、千差万別である。拘束力もなく、とても自由であり、自分の人格・力量・考え方でいくらでも変化することができる。先述したお金持ちになりたいと言って、反感を買われたエピソードのような嫌な思いをする必要もない。曖昧で他者には到底理解できないということが、自分自身を守る最大の盾になるのだ。

 「幸せ」は決して楽ではない。楽しいことばかりではなく、辛いことも含まれる。戦争の焼け野原から、次世代の人間のために一生懸命頑張って下さった先人たちの想いを履き違え、座りしがままにそれに甘んじてきた人間には、本当の幸せなどの意味はわからないはずだ。お金持ち、高学歴、車、マイホーム、結婚、海外旅行、どれもただの「欲望」にほかならない。欲まみれが何世代も続けば、トンビが鷹を産むことはなくなり、蛙の子は蛙と化してしまうだろう。

 本当の幸せは「苦」と「楽」を同時に受け入れ、それを己の中で噛み砕いて消化していく。不安定な浮き沈みの中から、やがてはちょうどいい塩梅の部分を見つけ出す。それこそが成長であり、大人になるということなのである。仏教の成り立ちだってこれに似ているだろう、お釈迦様が悟りを開いたのだって苦と楽の間を見つけ出し悟りを開いたのだ。「お幸持ち」という言葉は難しいことではなく、要は「楽すれば苦あり」「苦あれば楽あり」というだけの話である。あえて「楽あれば」でなく「すれば」と変えた。現代において、「楽」というトラップが、そんじょそこらに満ち溢れている。気がつけば我々はそれにどっぷり浸かっている。「楽」という存在を、自ら選んでしまっていると認識することが肝要。レトルト食品を食べれば栄養が偏る、電車・車に乗ってばかりなら足腰が弱くなる、スマホを多用すれば視力が低下、などは氷山の一角で、人が人であるべき力が削がれてしまっている要素がまだまだたくさんあるのだ。

 そんな時代だからこそ、今こそ「お幸持ち」という捉え所のない言葉を掲げ、本当の幸せについて今一度考察されてはいかがだろうか?何を隠そうこの私が一番欲の皮が突っ張っていたからこそ自戒の念を込めて言わせていただいた。

※イラスト=大岩戸関による直筆

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【大岩戸 義之】
元力士大岩戸。OfficeOōiwato(オフィスオオイワト)代表。現AbemaTV相撲解説者。相撲の運動を活かして介護施設や保育園・幼稚園で相撲レクリエーションを行っています。その他、講演活動やヘルスケアイベントでの講師なども。お問い合わせは当ホームページよりご連絡ください。

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