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「元関取が語る!土俵で学んだ歩き方Vol.14」碰稽古

 さあ、またまた難しい漢字のお出ましであるが何と読むだろうか?正直に申し上げると「碰」という字は日本語の常用漢字ではなく、私自身もまず見かけたことはない。麻雀用語のようでもあり、中国語でよく使われているそうな。難しい漢字であるが私はとても気に入っており、まさにぴったりだと思いこれを採用させてもらっている。中国人が訳すると麻雀の練習と誤解されてしまうかもしれないが違う、相撲の稽古の一つである。皆さんお分かりいただけただろうか?そろそろ、この辺で答えを言わせていただこうかと思う。正解は「ぶつかり」稽古である。音読みで「ホウ」、訓読みで「ぶつかる」だそうだ。「石」に「並」という字で成り立っているのが素晴らしい。力士の強靭な体は、石や岩の如く硬くて強力であると世間に知らしめるにはとても相応しい字だ。相撲教習所で授業の最後に歌う錬成歌の歌詞にも、「巌(いわお)の如き胸板に」という一節がある。普段はひらがな表記で「ぶつかり稽古」であるが、力強さに欠け迫力がない。まるでお遊戯のようなデモンストレーションのイメージに捉えられないとも限らない。なぜ文字に拘るか・・・、それは、この碰稽古こそ相撲の稽古の真骨頂であり、強くなるための究極の鍛錬だからだ。
 


 相撲の稽古の流れをざっと説明しよう、相撲部屋の稽古場はほとんどの部屋が土俵が一つしかない。なので人数を分けて順番に稽古をせねばならず、実力が下の者から相撲を取り始めていく。その間次のグループは、土俵の外で体を動かし温めておく。そして、ある程度時間が経過したところで兄弟子ないし、師匠から「ぶつかれ」や「押せ」と指令が出る。碰稽古は最後の稽古なので、いよいよこれが終われば本日の稽古はお終いであと一息というところなのだが、これが物凄くきつい。例えて言うなら、学校のマラソン大会の最後のゴール近くの苦しみに似ている。その内容は、ただひたすら相手の胸にぶつかっていく。土俵から押し出したら、踵を返してまた押す。これをひたすら繰り返す、段々息が上がるが、動きを止めることは許されない。途中受け身を取って転んだりして、不規則な動作も加味され、いよいよ体が動かなくなってくる。そうなるとさあ困った、転がり倒され、次の瞬間に首根っこを土俵の地面すれすれのところで抑えつけられる。この状態から、中腰の摺足で前へ前へ歩かなければいけない。すでに息が上がっている上に、体勢も前屈みなので呼吸がしづらく苦しい。意識が朦朧とし、休もうものなら周りから叱責が飛び交う。そこで人間の生理的限界を超えて、一歩先を行く肉体的限界のラインに突入すると、いよいよ心身のリミッターを振り切りもう一踏ん張り力が出せるようになる。これが世に言う火事場の馬鹿力である。この限界を超えた稽古を繰り返し行うことで、強靭な肉体・精神が作り上げられるのだ。

 相撲が強くなるのに近道はないが、このぶつかり稽古を一生懸命行うことで、早く強くなれることは間違いない。しかし、理屈ではそうはわかっていてもなかなか思い通りにはいかず、ついついこの荒行の前に尻込みしてしまう。荒行には変わりはないのだが動きは至ってシンプルで、押す・転ぶ・引っ張ってもらうという3パターンだけで、難しくはない、気を抜かなければまず怪我をすることはない。ある親方の名台詞「心臓から汗をかけ」というのがあるが、これはまさに碰稽古を敢行した時の体の状態を言い表している。力を搾り出し、全身を使い切ったあとはまさに心臓から汗が出たような感覚になる。ドーパミンが放出され、アドレナリンが溢れんばかりのような状態になる。雪の降るような寒さの日であったとしても、外に出ても全く寒くは感じない。体の奥底から熱量が吹き出し、表面からは湯気が立ち上る。その姿はとても幻想的で、体のオーラが映し出されているような感じだ。

 荒行であるがゆえに、合理的練習が重んじられる昨今において非効率ではないかという声もしばし聞かれる。しかし私は、この碰稽古ほど効率的で重要な稽古はないと断言させていただく。碰稽古の押すは、相撲で大切な前へ出る力を養う。転ぶは受け身を取るための重要な動きで、怪我をしないため必要な要素。首根っこを押さえられての摺足は引きや叩きなどの技に対応するための訓練。そして、これらの動作を苦しみながら息が上がるまで行うことで、本番の状況のシュミレーションとなるのだ。本場所の土俵は緊張する、それが15日間続くわけだ。大勢のお客さんの前で土俵上でスポットライトを浴びた時の心拍数の上がりようといったらない。緊張しない人間などはおらず、インタビューなどで緊張しないと言っているのは弱音を見せないための一種のパフォーマンスである。イメージトレーニングをしたこところで、リアルに心拍数をあげることは不可能である。本番の緊張感を作り出し、體に覚えさせるためには、「碰稽古」が一番最適なのである。

 この荒行を薦めてはいるが、私自身とても大嫌いな稽古であった。いかにして楽に碰稽古をこなすか思い悩んだ結果、持久力を普段から付け、息が上らないようにしようと思い立った。午前中に通常の稽古が終わって午後のフリーの時間、ウォーキングから始まって、やがてはランニングを敢行した。そこそこの距離を走り込んでいたと思う、だいぶスタミナも付き、これなら大丈夫だろうと確信したところで、あらためて碰稽古に挑む。さぁランニングの効果はどうだ!?結果は以前と変わらず息が上がった、しかも悲しいかな馬力が落ちている。走り込んだことで体重が減り、ランニング特有のバタ足で、相撲の腰の重みまで失われてしまっていた。トータル的に言えば、マイナスの結果に終わったわけだ。しかし、この失敗が後々に活きたものである。相撲が強くなるには相撲の稽古をするしかない、碰稽古を会得するには碰稽古をやるしかないと気付いた。相撲の稽古に代替方法など存在しないのだ。

 近年この碰稽古に異変が起きている、あまりにもスタミナがないため、押す側の都合に合わせゆっくりとペースを合わせているのだ。つまり息が上がれば整うまで待つ、転ばせる時はさぁ今から転ぶわよとあらかじめ態勢を準備する、首根っこを抑えるのも優しめで最も近頃は腰の方に軽く体重をかけて、さぁ歩けというくらい。親が子に遊具遊びを教えてるのと訳が違う、あんな稽古を見てるとこっちが恥ずかしくなってくる。一番強くなる為の稽古なのだから「ありがたい」と思ってやれとよく言われたものだ、この稽古には別名「かわいがり」という言葉さえ存在する。そこを避けて筋トレに走る人間が後を経たないものだから怪我人が増える。やはり、この荒行をなぜやるのかと説明できる人間がいないからだ。レベルが下がっているのはプレイヤーではなく、教える側の人間なのだ。本番の緊張感による心拍数の上昇、普段の力が出しきれなくて悩んでいる人間は多いだろう。緊張してドキドキするのと、激しい稽古で息が上がるのは同じ感覚だから碰稽古は絶対にやるべきことなんだよと言えば納得するはず。

 110年ぶりの新入幕優勝、初土俵からわずか2年での横綱昇進、史上最速大関昇進と、フレッシュな話題が多く今の大相撲人気を支えてはいるが・・・。ではこの世界の番付という序列に意味はあるのか?若手を迎え撃つべき上位人がなぜ壁になれないのか?もしかしたら、この碰稽古の近年の傾向が反映されてるのではないか?

※イラスト=大岩戸関による直筆

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【大岩戸 義之】
元力士大岩戸。OfficeOōiwato(オフィスオオイワト)代表。現AbemaTV相撲解説者。相撲の運動を活かして介護施設や保育園・幼稚園で相撲レクリエーションを行っています。その他、講演活動やヘルスケアイベントでの講師なども。お問い合わせは当ホームページよりご連絡ください。

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