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元関取が語る!土俵で学んだ歩き方【Vol.02相撲と健康?相撲術の中身をほんの少し公開】

 Kearaコラムをご覧の皆様、今年初のコラムとなります。本年もどうぞよろしくお願いいたします。今年も相撲の世界で経験してきたことを活かして記事を書いていきたいと思う。

 さて今の世の中であるが、科学技術の進歩により、人々は昔よりもはるかに楽に暮らせるようになった。そして医療技術も向上し、病気に対する対策は格段に良くなった。にもかかわらず、精神的な悩みをはじめ、様々な体の不調を訴える人間が後を絶たず、お医者さん・薬に頼る生活から抜け出せていないのが現状だ。充実してるはずの医療、しかしそれとは反対に、体の調子が悪い人たちが一向に減らないのはなぜか?この仕組みは、まず我々の遺伝子的な要素に注目しなければならない。

▲元関取によるイラスト(以下同様)

 人間の祖先は、例えば縄文人であれば朝目覚めてから狩りをしに出かけ、暗くなるまでに獲物を捕らえて家族の元へ帰るという生活を送っていた。そうしなければ一家は飢え死にしてしまう。ただお腹が空いたというだけでは済まされず、命がけの日々だったのである。狩りの最中でもいつ獣に襲われるかわからず、警戒心を強めながら感覚を研ぎすませて行動していた。

▲狩りをする縄文人

 現代のようにスーパーに行って食べたいものを買ってくるように最初から食べ物があるわけではなく、毎日の生活全てにおいて、生きるか死ぬかのサバイバルであり、寝る時以外はほぼ体を動かし続けていたのだ。特に足腰に関して言えば、毎日途方もない距離を、現代のような舗装された道路とはかけ離れた不安定な道をバンランスよく歩き、時には重たいものを運んでいたわけだから、今の我々とは比べ物にならないくらい強靭であっただろう。

 かなりの長い年月、縄文時代は約1万年と言われてきたが、その遺伝子に対し、ここ100年は生活様式ががらりと変わってしまったために全く異なる生活習慣が身についてしまった。便利であるがゆえに、体を動かすことが極端に減り、体力が落ち込んだ。それだけでなく体を持て余して精神衛生上不調をきたしている、つまり暇な状態であるのだ。え?暇じゃないって?いや、確実に暇で退屈この上ない状態である。但しそれは、「体」であって、脳(精神)は遥か許容範囲を超えて使いすぎ、かなり疲弊している。ここが現代人の病の根本的な部分ではないだろうか?本来ならもっと動かすべき体を動かさず、休めなければいけない脳をこれでもかというくらい使わされてるのだから、調子が悪くならないわけがない。

 時間という概念、時計の存在、これらによって人々は時間を有効活用することばかりに気を取られ、いつしか一分一秒と管理されるようになってしまい、体と脳(精神)のバランスが崩れてしまった。人間には人間のペースというものがあり、またさらに個人差もある。しかし、今の時代は個々の時間の使い方よりスピードが重視される。これを解決しない限り、本当の意味での健康・幸福というものが訪れるのは難しい。

 話が少し相撲とずれてしまったが、真の快適さを求める上で、今こそ相撲を生かすべき時がやってきた。相撲と健康は密接な関係にあり、切り離してはいけない(と私は強く信じている)。一般的には、相撲は体が大きくなければいけないし、運動神経も良くなければいけないとお思いではないだろうか?そんなことはなく、普通の体型の人や体力に自信のない方も相撲に触れ合えることは可能だし、むしろ触れてほしいと思っている。これは老若男女問わず、そして世界共通で言えることだ。下半身を中心とする相撲の動きを日常生活に取り入れていくことで健康な体を作っていくのだ。

 私が活動している「相撲術」というものがあり、全国各地で講座を行なっている。さまざまな方が来られ、純粋に相撲が好きな方や好奇心旺盛な方、そしてほぼ怪しんで心を閉ざしたアンチテーゼな方もいる。どんな世界もそうだが、最初の頃はなかなか想いが伝わらず苦労するもの。特に批判的な方々の警戒心といったらない。しかし回を重ねるごとに少しづつ相手への伝え方が「見えて」きて、今ではどんな状況でも対応できるようになってきた。

▲相撲術から健康な体に

 私自身が相撲術を使いこなせるようになってきたということだろうか?どんなタイプの人も最後は笑顔で、憑き物が落ちたようなすっきりした表情で帰られる。この時にようやく緊張から解き放たれ、自分の仕事にやって良かったと充実感に包まれる。しかしなぜこのように受け入れていただけるのか?それは相撲術が別段難しいことでなく、皆それぞれ本来備えていたものをほんの少しの間だけ忘れてしまっているだけだからだ。古い時代の体の使い方について原点を思い出す作業をしただけに他ならない、相撲術では何をするのかほんの触りだけ紹介する。

 まず初めに、現代の生活様式でほぼ「失っている」足腰に注目していただく。世の中ほとんどが椅子に座る生活になっているが、これがどういうことなのか?足がぶらぶらし、感覚がない状態なのだ。足腰・下半身はは人間の動きの基礎の部分で、自然界の樹木に例えるなら「根」である。我々の「根」、体の根幹である。これを使っていなかったらどうなるかというと退化の一途をたどる。この足腰を復活させるには、昔の体の使い方を思い出すことが肝要で、当時の生活様式を再現することが手っ取り早いのであるが、それは現代においてほぼ不可能である。電車や車などの乗り物に明日から乗ってはいけませんと言われたら、挫折するだけ。そこで相撲の動きを活用する、相撲は土俵という滑りやすいところを裸足、そして中腰という低い姿勢を保ち、相手の攻めを防ぎつつ、自分も攻めるという世界だ。足腰なくしては成り立たない世界。本来の日本人の身体観を取り戻すのにまさに打ってつけなのである。

▲足腰が弱い現代人

 現状の体の使い方を認識してもらってからは、「顔』を作っていただく。相撲術でいう顔とは、基本口角を上げた状態の「笑顔」に相当する。人間の感情「喜怒哀楽」が存在するが、どのような状態でもよいので、講座の間だけでも表情を作っていただく。これが簡単そうで出来ない、現代人からは笑顔が消えつつあるのだ。その理由は、①楽しくないから②スマホの見過ぎ③マスク着用である。楽しくなければ笑顔にならないし、電車でスマホ見てる人間の表情は無からむしろ冴えない。マスクはゴムで引っ張られ口角が上げずらい、口が隠れるからその領域に緊張感(他者から見られてるという美意識)が消える。

 そして参加される人皆がそれぞれ日々の生活の中様々な悩み事を抱えており頭の中に残っているが、一旦は忘れいただき、受け入れて態勢を作るのだ。食器を想像していただきたい、盛り付ける向きと口角が上がった状態は一緒であるり、逆に口角が下がれば食器をひっくり返した状態になる。顔一つだけでも、心身ともにだいぶに変わってくるのだ。そして皆受け入れる準備ができることでその場の空気が一変する、大変心地よい状態になるのだ。これは、フローやゾーンと呼ばれる集中した状態に感覚が似ている。笑顔で開運になるなど、笑顔にまつわる良いこと話が多々あるがこれは本当である。

 ただ今の世の中が、笑顔になりづらい大変な時代になっている。他者に頼っていては、いつまでもよいことは巡ってこない。だったら自分で作っちまえばいい。自分の顔一つ、そしてその一部分の口元にほんの少し焦点を当てて取り組んでみてほしい。口角を上げ、笑顔を作る。足腰とは一番遠い体の部分だが、実は直結している。次回はこの辺も踏まえ、相撲術を深掘りしていこうかなと思う。さぁ、時間もかからない、お金もかからないこの作業を皆さんぜひやってみてはいかかだろうか?

▲笑顔を作ろう!

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【上林義之】
元力士大岩戸、本名上林義之。OfficeOōiwato(オフィスオオイワト)代表。現AbemaTV相撲解説者。相撲の運動を活かして介護施設や保育園・幼稚園で相撲レクリエーションを行っています。その他、講演活動やヘルスケアイベントでの講師なども。お問い合わせは当ホームページよりご連絡ください。

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